ギリシャ神話では、人類の最初の女性であるパンドラが好奇心からパンドラの箱を開けてしまい、あらゆる悪いものが溢れ出た時に、最後に箱の底に残ったのが「希望」だったとされる(正確には、パンドラの箱に最後に残ったのは「未来を全て分かってしまう災い(前兆)」であり、それが解き放たれなかったことから、『希望が残った』としばしば表現される)。また、「希望」はキリスト教における神学的な徳の1つ。他に「信仰」と「愛」がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
経済ブログにあった現在の『希望のない世の中』について考えていた。かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。~今の日本が不幸なのは、富が失われていることより希望が失われていることだろう。
『希望という漠然とした何かがあるから、あらゆる災いの世の中を、何とか生きて行ける。』ギリシア神話にある、人間の生き方の本質的な部分が大きく揺らいでいる様に思う。
思い出したのは、歌手:Mr.Children の HANABI という歌・・・・・
一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは
日常に葬られてく
マクロ的だが、この国は平穏さを保つために、(意図的でないにせよ)様々な規制を造りすぎた。几帳面な日本人は規制を破ることを極端に嫌い、規制は人々を徐々に窮屈にし、だんだん一人歩きを始め、身動きすら出来ないようになってしまった。一度失敗するともう二度と復活する事が出来ず、今のスタンスに止まる事以外の選択肢がない。やがて人々はチャレンジすることを恐れるようになり、しまいに、人間の心の一番大切な所である、『希望』が奪われ、『絶望』といっしょに生活する事になり、成長が止まる。
タイムリーな事に、先日のSMAP草なぎ氏の越権逮捕は、この事を象徴する事件となった。法律を守ることが、人として生きることより優先させられ、希望をまた一つ奪われた瞬間。
建築基準法は、画一的で陳腐な建物しか許さず、人々の豊かな感性や可能性という希望を結果的に全て奪った。
パンドラの箱が開いてあらゆる災厄が出たあと、残ったのは希望だったが、むなしい希望こそゼウスが人間に与えた最悪の災厄だったのである。と経済ブログは結んでいるが、絶望し心がポッキリと折れてしまった人間は、希望がなくても生きて行けるのだろうか?
最近麻生総理大臣の顔を見ると、最高級に苛立つ。既得権とブレーキしかない『小手先の正しいことしか出来ない』官僚政治からは『絶望』の風景しか見えない。
規制緩和+構造改革という2大改革の、規制と構造を脈々と造り上げたのは官僚に他ならないのだから・・・・・。
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